長尾 咲

『stacks』  

 

作品コンセプト 

私は、陶芸において素材と過程が作品の表面に出てくることによって、作品のアイデンティティにつながると考える。本卒業制作では、自身の素材との関わりを目に見える形に残したものとして、作品を位置づけ、またそれを目指していきたい。卒業制作では、土で作った紐の間にドベという土を溶かした泥状のものを塗り重ねていく。内部のみを触り、表面にはドベが押し出されたものが積み重なる。この重なりが、タイムレコーダーのようだと考える。これをいくつも制作し、重ねて展示する。断絶を繰り返しながら重なっていく様子が、制作過程そのもののようだと考える。 

 

制作経緯 

  卒業制作を制作するにあたって、前期制作展や、教育実習で行った授業の発展として、本制作を行った。卒業論文では、教育実習で影響を受けた哲学家や、参考とした作家の研究をまとめた。 

 教育実習を実施するにあたって、韓国出身ドイツ在住の哲学者のヴォルター・ベンヤミンの「疲労社会」に影響を受けた。彼は「深い退屈」の中で、今日の情報化社会を批判的に捉え、絶えず注意が切り替わることを、過剰な注意(ハイパー・アテンション)とした。しかし、創造的な活動には「深い退屈」が必要で、「深い退屈」から「深い集中」が生まれるとした。1)ここから、生徒たちに自分たちが「線を引く」という行為に没入していくことを目指して、李禹煥の「線より」を参考作品にあげ、実習を行った。 

 実施してみて、生徒たちは私が想定していたよりも集中して授業に集中して取り組んでいるように感じた。手の止まる生徒も一定数いたが、各々の興味に沿って制作を進めていたのではないかと思う。しかし、教科担当の先生や、研究授業に来てくださった先生のご講評から、授業全体の目標や、評価の仕方が曖昧であるという指摘も受けた。 

担当の先生や他の先生からの指摘によって、生徒たちが制作に没頭して何かをすることの意義や、終着点が曖昧なまま授業をすすめていたのだと気づいた。卒業制作の取り組みの中からも、制作の過程の過程を私が授業の中で評価としたかったことや、終着点について改めて考えたい。  

参考:1)ビョンチョル・ハン著.『疲労社会』,2021年,花伝社,p35~41